自然のごとく!


「同じ冬の熊の沢公園」↓の写真
[熊の沢公園に春がきた!]上の写真
札幌市厚別の昔の、原生林を開拓して一大公園となる。
名前の由来は、熊がいたとか、熊沢さんが、開拓者と、諸説あり。
昔は、野幌といいました。
今年は2週間ほど、雪解けが早く、公園の緑も鮮やかだ。この近くに山桜が咲いたが、見せるほどでないのでやめました.寧ろ近所の庭園に見事な梅がほころんでいる。さすが人の家の庭にてカメラ
を向けるには、度胸が要り自分には無理だった。却って喜んでくれる人もいるはずだが。!?
春になると蛹が蝶々になるように、躍動し、飛躍してゆく生命がある。
ミンナが共同して一糸乱れず統制された昆虫のように、人間も絶えず革新し、進歩しなければならないと思った。!
小樽市役所の前

これが、小樽市役所本庁の正面玄関です。御影石で、ピカピカの他市のは箱物に比べて実に質素です。税金の無駄ずかいがどれだけ国民を困らせているかを思うとこの姿勢は感心します。職員さえ能力があれば本庁はこれでよいのです。公務員は市民の公僕であることを忘れないで欲しいものです。
医療費も租税特例法も改悪の必要性がないのです。公務員は昔の{侍]ではないのだと心して欲しい。
洞爺湖サミットがなんだ!


(渓谷を見下ろす温泉街の高台に位置し、四季折々の花々を楽しんでいただける大庭園にかこまれ、総御影石大浴場、大露天風呂、2階建総大理石大浴場サウナ等他に温水プールを有し、温泉天国にふさわしい設備を誇っています。)
最近、北海道の不景気風で定山渓温泉も、景気が悪い。洞爺湖、登別温泉に負けている。
一昔前は、札幌ー定山渓に鉄道が、走り、温泉の夜は綺麗どころが男を誘う風景も珍しくなかった。
街の、飲食街は消えうせホテルのロビーのスナックで遊ぶ男が増えた。誠に寂しいことだ。
新興企業のビュウホテルとミリオーネに客を奪われ、昔の、名門ホテルは影が薄い。
この写真の、グランドホテルも栄華は消え、私らが泊まったが、昔の面影がなかった。
時の移ろいは、本当にわびしいものだ.
北海道の古都 小樽市

北海道小樽市にあるJR函館本線の駅名。またはその周辺の地名。img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/t/a/k/takatora/RIMG0013s.jpg" alt="" border="0" />

地名はニシン漁で多大な利益がもたらされた事に由来。
「銭の函」と言う縁起のよさから入場券を買い求める客が後を絶たない。
映画「駅 STATION」の舞台にもなった。
私を元気ずけるためもあり再び姉の親戚一同と小樽に向かった。姉の姪が小樽のホテルに就職
したのでお祝いもかねて札樽高速道路を利用して30分くらいで到着した。
{湯の花温泉}で気分一新してジョッキを呑み、活力を取り戻した。
姉の好意に感謝の念を持った、定山渓では済みませんでしたと心で誤った
この写真は、帰札途中の、車窓から撮った「銭函」の入り口です。
勿論、運転手は私ではありません!
勝利は「女神」に愛されねば為らず
モグラが土の中で薄暗い裸電球で本を読んでいたら、姪の子が遮二無二地上に持ち上げてくれた。
矢張り地上は何でも見える。明るい光に照らされ、一筆書く気になった。
■私の好きな棋士に米長邦雄(日本将棋連盟会長、都教育委員)と言う男がいます。15年前史上初めて、最年長50才で名人位を獲得した。相手は塩釜の天才中原誠名人(マスコミで林葉直子と不倫で騒動をおこす)6度挑戦して敗れ7度目にして遂に勝利したのだ。50年間{女神}−(西欧神話の女の神)を研究した変わった棋士だ。{勝利の女神}は謙虚で笑いを好むことに気がついたそうだ。そこで若い棋士(今を時めく羽生、佐藤、森内名人)に頭を下げて、習いに行ったのだ(謙虚)
勝って驕らず、負けて悪びれず、「ともに勝つ」(笑いの精神)が神の意思であると言う{女神信仰}を奉じている人なのだ。
■米長さんは、只の棋士ではなく、中々の哲学者でもある。3人の兄はみな東大に行き活躍している。語録に(兄貴は、頭が悪いから東大に入ったので、俺は、頭が良いから棋士になったのだ)という
有名な話がある。特に中国史に詳しく、唐の時代の「鑑真和上}(唐招提寺に座している)が日本に渡航を5度失敗し、弟子を36人失いながら、6度目に成功し、失明をしたことに感銘して一番尊敬していると言う粋な学者でもある人だ。
■人生相談にも応じている位で{家庭の空気が円い、夫婦仲が良いことが非常に大事で、これが勝負や子供の将来を決める事になる}と言うのが持論だ。勝利の女神は幸運の女神でもある。
このように、女神に好かれなければ、運も勝利も来ないらしい。
■、過去の辛酸、孤独、悲哀は反省すれども、とらわれず、不屈の精神を持っていれば、かならず
{女神}と仲良くなれると思った。政治、外交、教育もこの{ともに勝つ}の姿勢があれば解決策も処方されると思う。勿論俗世界の、{女性}に好かれなければ、人生の勝利は来ないことを銘記しなければ為らない。
[憎しみは憎しみによってとめられず愛のみによりとめられる]仏陀
矢張り地上は何でも見える。明るい光に照らされ、一筆書く気になった。
■私の好きな棋士に米長邦雄(日本将棋連盟会長、都教育委員)と言う男がいます。15年前史上初めて、最年長50才で名人位を獲得した。相手は塩釜の天才中原誠名人(マスコミで林葉直子と不倫で騒動をおこす)6度挑戦して敗れ7度目にして遂に勝利したのだ。50年間{女神}−(西欧神話の女の神)を研究した変わった棋士だ。{勝利の女神}は謙虚で笑いを好むことに気がついたそうだ。そこで若い棋士(今を時めく羽生、佐藤、森内名人)に頭を下げて、習いに行ったのだ(謙虚)
勝って驕らず、負けて悪びれず、「ともに勝つ」(笑いの精神)が神の意思であると言う{女神信仰}を奉じている人なのだ。
■米長さんは、只の棋士ではなく、中々の哲学者でもある。3人の兄はみな東大に行き活躍している。語録に(兄貴は、頭が悪いから東大に入ったので、俺は、頭が良いから棋士になったのだ)という
有名な話がある。特に中国史に詳しく、唐の時代の「鑑真和上}(唐招提寺に座している)が日本に渡航を5度失敗し、弟子を36人失いながら、6度目に成功し、失明をしたことに感銘して一番尊敬していると言う粋な学者でもある人だ。
■人生相談にも応じている位で{家庭の空気が円い、夫婦仲が良いことが非常に大事で、これが勝負や子供の将来を決める事になる}と言うのが持論だ。勝利の女神は幸運の女神でもある。
このように、女神に好かれなければ、運も勝利も来ないらしい。
■、過去の辛酸、孤独、悲哀は反省すれども、とらわれず、不屈の精神を持っていれば、かならず
{女神}と仲良くなれると思った。政治、外交、教育もこの{ともに勝つ}の姿勢があれば解決策も処方されると思う。勿論俗世界の、{女性}に好かれなければ、人生の勝利は来ないことを銘記しなければ為らない。
[憎しみは憎しみによってとめられず愛のみによりとめられる]仏陀
喜怒哀楽と雑念妄想
暫くご無沙汰いたしました。(悟った)?心算が大誤算。昨年の手術の痛みと愚恥に犯され〔欝〕状態の回廊に迷い込んでしまった。
遂に〔うめき声〕を発し、雲隠れしていました。
■幸い、4姉の援助で札幌近郊では、最大の温泉郷の定山渓(札幌市街中心部から国道230号を中山峠方面へ車で約40分の所に位置する定山渓温泉街。
定山渓温泉は、温泉開発に生涯を捧げた美泉定山(1805〜1877)の名前にちなんで命名された。
その美泉定山禅師が生誕して今年200年を迎へる。}に湯治に行っていました。姉とは慈悲の人なり。!!しかしまだ北海道の温泉は残雪があり、秋の紅葉ほど風情を感じない。寧ろ苦悩が増幅したかの感じを受けた。
■白楽天の詩に〔慈雨夜諦〕と言うのがある。{情け深い鳥が夜、母を慕って鳴く〕という.慈鳥と言って母の口に恩返しをする鳥とされているそうだ。俗にいう〔さと鳥〕=カラスである良寛上人が、夜烏の鳴くを聞いて悟りを開いたと言う話がある。鳥でさえ孝心があるのになんと、俺様はなんと情けない人間なのだろうか。
■先の記事で、「三心]「三毒」などという言葉を書いた自分に嫌気をさした。帰りの車窓から清流のせせらぎを聞き鳥の囀りに耳を澄ましても、詩情が沸くはずが無い。恩知らずの自分を恥じ、「三楽」を読みなおした。[家族の無事][心の平安]「後進の教育」
この三つが本当の人生の楽しみであると書いてあった。
■人の恩を忘れた、拙者は、更に手痛い罪と罰を受けた。帰宅して冷蔵庫からビールを出して呑もうとしたら、温水になっていた。つまり冷蔵庫が壊れてしまったのでした。諦めて寝るしか道は無かった次第です。改めて、感謝の大切さを再考させられました。こんな男ですが、亦今後お付き合いお願い申し上げます。
遂に〔うめき声〕を発し、雲隠れしていました。
■幸い、4姉の援助で札幌近郊では、最大の温泉郷の定山渓(札幌市街中心部から国道230号を中山峠方面へ車で約40分の所に位置する定山渓温泉街。
定山渓温泉は、温泉開発に生涯を捧げた美泉定山(1805〜1877)の名前にちなんで命名された。
その美泉定山禅師が生誕して今年200年を迎へる。}に湯治に行っていました。姉とは慈悲の人なり。!!しかしまだ北海道の温泉は残雪があり、秋の紅葉ほど風情を感じない。寧ろ苦悩が増幅したかの感じを受けた。
■白楽天の詩に〔慈雨夜諦〕と言うのがある。{情け深い鳥が夜、母を慕って鳴く〕という.慈鳥と言って母の口に恩返しをする鳥とされているそうだ。俗にいう〔さと鳥〕=カラスである良寛上人が、夜烏の鳴くを聞いて悟りを開いたと言う話がある。鳥でさえ孝心があるのになんと、俺様はなんと情けない人間なのだろうか。
■先の記事で、「三心]「三毒」などという言葉を書いた自分に嫌気をさした。帰りの車窓から清流のせせらぎを聞き鳥の囀りに耳を澄ましても、詩情が沸くはずが無い。恩知らずの自分を恥じ、「三楽」を読みなおした。[家族の無事][心の平安]「後進の教育」
この三つが本当の人生の楽しみであると書いてあった。
■人の恩を忘れた、拙者は、更に手痛い罪と罰を受けた。帰宅して冷蔵庫からビールを出して呑もうとしたら、温水になっていた。つまり冷蔵庫が壊れてしまったのでした。諦めて寝るしか道は無かった次第です。改めて、感謝の大切さを再考させられました。こんな男ですが、亦今後お付き合いお願い申し上げます。
巨人開幕5連敗
戦国時代の「合戦」は今の時代に教訓を示唆している。(1560)信長が10倍の戦力の今川義元を桶狭間の戦いで「下天の内をくらぶれば云々}と歌い雨の夜中を付いて
死ぬ覚悟で破り義元の首を祭り上げ、駿河の家康は(1572)三方が原で大惨敗した教訓を生かし
[1575]三年後の「長篠の合戦」で甲斐の勝頼を破った話は歴史ずきの人なら知っている。
■プロ野球に目を移してみる。原巨人は当時の「武田軍団」の如くスターを集結した最強チームである。どの評論家も巨人の優勝を上げヤクルトを最下位と予想した。戦力的に無理もない話だ。
しかし開幕戦で(ヤー巨]の因縁[巨人がヤクルトのエースと4番打者のラミレスを引き抜いた)試合
が火蓋を切った。大方の予想に反しヤクルトの3連勝に終わった。信玄が家康に対し「埒なき雑軍を相手にすまいぞ」といって眼中に入れなかったと同じく、上原、内海のエースを温存した。これが躓きの始まりであるといわざるを得ない。.去年は小技、大技を功みに駆使してリーグ優勝を果した。
ところが今年は数年前の失敗を忘れ一発屋の大型打線を構成した。当然打線の繋がりがなくヤクルトの意地の前に屈した。温存した上原、内海、も中日に連敗、遂に球団創立以来の開幕5連敗の
ワースト記録を作ってしまった。戦国の信長、武田、家康には皆頼りに為る軍師、武将が付いていた
が、原監督には主従の関係を大事にする迎合コーチしかいないのではないか。
■組織をまとめるには、主従ではなく友人の関係で遠慮なく話し合わなくては成り立たない。
阪神が18年ぶりに優勝した時の星野監督はコーチを信頼し任せた結果が良い方向に行ったのだ。
野球も「合戦」と同じく監督が死地に向かう決心と知略が必要なのだと思う.今の巨人は投打も打線もばらばらな感がある.これでは勝てない。私はアンチ巨人だから負けるのはありがたいが、こう弱いと「強きを挫く」楽しみが半減してしまう。
「負けることの無い戦に負け、亡ぶことの無い家が亡ぶのを、人はみな天命と言っている。自分は天命と思わず、みなそのやり方が悪いためであると思う。つねづねやり方をよくしておれば、負けることはあるまい」武田晴信(信玄)
死ぬ覚悟で破り義元の首を祭り上げ、駿河の家康は(1572)三方が原で大惨敗した教訓を生かし
[1575]三年後の「長篠の合戦」で甲斐の勝頼を破った話は歴史ずきの人なら知っている。
■プロ野球に目を移してみる。原巨人は当時の「武田軍団」の如くスターを集結した最強チームである。どの評論家も巨人の優勝を上げヤクルトを最下位と予想した。戦力的に無理もない話だ。
しかし開幕戦で(ヤー巨]の因縁[巨人がヤクルトのエースと4番打者のラミレスを引き抜いた)試合
が火蓋を切った。大方の予想に反しヤクルトの3連勝に終わった。信玄が家康に対し「埒なき雑軍を相手にすまいぞ」といって眼中に入れなかったと同じく、上原、内海のエースを温存した。これが躓きの始まりであるといわざるを得ない。.去年は小技、大技を功みに駆使してリーグ優勝を果した。
ところが今年は数年前の失敗を忘れ一発屋の大型打線を構成した。当然打線の繋がりがなくヤクルトの意地の前に屈した。温存した上原、内海、も中日に連敗、遂に球団創立以来の開幕5連敗の
ワースト記録を作ってしまった。戦国の信長、武田、家康には皆頼りに為る軍師、武将が付いていた
が、原監督には主従の関係を大事にする迎合コーチしかいないのではないか。
■組織をまとめるには、主従ではなく友人の関係で遠慮なく話し合わなくては成り立たない。
阪神が18年ぶりに優勝した時の星野監督はコーチを信頼し任せた結果が良い方向に行ったのだ。
野球も「合戦」と同じく監督が死地に向かう決心と知略が必要なのだと思う.今の巨人は投打も打線もばらばらな感がある.これでは勝てない。私はアンチ巨人だから負けるのはありがたいが、こう弱いと「強きを挫く」楽しみが半減してしまう。
「負けることの無い戦に負け、亡ぶことの無い家が亡ぶのを、人はみな天命と言っている。自分は天命と思わず、みなそのやり方が悪いためであると思う。つねづねやり方をよくしておれば、負けることはあるまい」武田晴信(信玄)







