人生40歳から!


孔子[前552~479]は中国春秋時代の思想家。儒教を大成し、世界三聖人の一人といわれる。彼の教えは、弟子が編集した『論語』にまとめられ、『仁』という徳を重んじた。[吾十有五にして・・・・四十にして惑わず云々・・]が有名な言葉である。
■「アラフォー」という聞きなれない言葉がある。around fortyの略語だそうだ。[40歳前後という意味]
だそうだ。『くるねこ』というイラストブログのNO1で超人気ブログだそうだ、「きっこのブログ」以来の出版らしい。最近ブログの人気者の出版が多いようだ。出版社の商魂もあると思う。売れたら、印税で暮らしていけるが、売れなければ、その保証はないのだ、この二人りは、売れる事でしょう.。既にベストセラーになっているようです。まだ人気ブログは多々ありますので,出版の機会があると思います。
普通の人は、商魂に騙されない事だと思う。netの威力が、席巻しだしたようだ、中国でも、政権を動かすほどの、影響があるそうだ。悪徳業者もいることを忘れないでほしい。
■それはさておき、先ごろ、40歳代の人の活躍が目立つ。野球を見てみよう。中日の山本昌投手が、史上最高齢で、200勝投手になり、晴れの名球界に入ったのは素晴らしい事だと思う。まさに、特筆すべきと思う。
野茂,も然り、現役では、阪神の金本、下柳。それに楽天の山崎選手は、本塁打、打点王の2冠を獲得した。誰が、予測できただろうか。『くるねこ』は40歳からの人生を励ました漫画らしい、(アニメ)
■孔子様も、肉体、気力の節目の40歳でも、『諦めず』目標を持てば、実現する事を示唆したのだと思う。迷わず諦めず、節目からの、出発を、教示されたのだと思う。人生の、指針なのだ、有難いお言葉である。実行あるのみなのです。
『成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはならぬ』
シェイクスピア
ブログの[松永みよこのHAIKU CAFE]の俳句が毎日新聞に記載される!
[松永みよこのHAIKU CAFE]



Author:松永みよこ
1973年静岡市生まれ。<
「玉藻」星野高士氏に師事。
立教大学院文学研究科博士前期課程修了。
鎌倉エフエムでパーソナリティもつとめる。
(毎週水曜日17:00〜19:00)
句集『抱く』(幻冬舎ルネッサンス)
この方は、ブログ友人の、若き俳人です、なんでも興味を持つ私が、探索した珍しい俳人です。
毎日新聞の、一面に毎日、松尾芭蕉、小林一茶とか有名な俳人と新進俳人の俳句を紹介する欄です。
7月29日の新聞を見て驚きました。「松永みよこ」さんの句が載っていたのです。
目を見張りました。何度見ても間違いでないのです。ブログ仲間が新聞に出るというのは嬉しいことですし,自分のことのように誇りさえ感じるものです。
俳句は17文字の最短の詩です、私にはぜんぜん分かりません。
詠み人の心象の一端でも分かれば占めたものです。
俳句に少しでも興味のある方に一見を進めたく敢えてご紹介しました
参考文献
昼寝して女をしばし放り出す (季語/昼寝)
松永みよこ
句集『抱く』(幻冬舎ルネッサンス)から引いた。作者は1973年生まれ。この句は「放り出す」という表現に快い強さと健康さがある。「目を遠くすれば近くにありし薔薇」「薔薇のまえすべてさしだすかもしれぬ」にも同様の快さを感じる。
西村和子が読売新聞の俳句時評(6月18日)で、最近の「俳句」「俳句研究」などは書き手を育てているかどうかを問いかけている。和子はこれらの雑誌を〈俳句総合誌〉と呼んでいるが、その呼び方はいいのかどうか。私はそれらの雑誌は〈俳句商業誌〉だと思う。書き手を育てることよりも、むしろ、売れる雑誌を作ることが一義であろう。もちろん、育てるという側面も大事だが、育てるのは、あるいは育つのは、俳句商業誌とは別のところであろう。結社とか同人誌、句会や研究会などで俳人は力をつけるべき。商業誌に期待するのは甘い。(坪内稔典)



Author:松永みよこ
1973年静岡市生まれ。<
「玉藻」星野高士氏に師事。
立教大学院文学研究科博士前期課程修了。
鎌倉エフエムでパーソナリティもつとめる。
(毎週水曜日17:00〜19:00)
句集『抱く』(幻冬舎ルネッサンス)
この方は、ブログ友人の、若き俳人です、なんでも興味を持つ私が、探索した珍しい俳人です。
毎日新聞の、一面に毎日、松尾芭蕉、小林一茶とか有名な俳人と新進俳人の俳句を紹介する欄です。
7月29日の新聞を見て驚きました。「松永みよこ」さんの句が載っていたのです。
目を見張りました。何度見ても間違いでないのです。ブログ仲間が新聞に出るというのは嬉しいことですし,自分のことのように誇りさえ感じるものです。
俳句は17文字の最短の詩です、私にはぜんぜん分かりません。
詠み人の心象の一端でも分かれば占めたものです。
俳句に少しでも興味のある方に一見を進めたく敢えてご紹介しました
参考文献
昼寝して女をしばし放り出す (季語/昼寝)
松永みよこ
句集『抱く』(幻冬舎ルネッサンス)から引いた。作者は1973年生まれ。この句は「放り出す」という表現に快い強さと健康さがある。「目を遠くすれば近くにありし薔薇」「薔薇のまえすべてさしだすかもしれぬ」にも同様の快さを感じる。
西村和子が読売新聞の俳句時評(6月18日)で、最近の「俳句」「俳句研究」などは書き手を育てているかどうかを問いかけている。和子はこれらの雑誌を〈俳句総合誌〉と呼んでいるが、その呼び方はいいのかどうか。私はそれらの雑誌は〈俳句商業誌〉だと思う。書き手を育てることよりも、むしろ、売れる雑誌を作ることが一義であろう。もちろん、育てるという側面も大事だが、育てるのは、あるいは育つのは、俳句商業誌とは別のところであろう。結社とか同人誌、句会や研究会などで俳人は力をつけるべき。商業誌に期待するのは甘い。(坪内稔典)
太宰文学 (2 )

太宰治は東大の学生時代に、銀座の女給田部あつみ(シメコ)と知り合い、鎌倉の七里ガ浜でカルモチン100錠を呑み入水自殺を図る。しかし太宰は、助かり、自殺ほう助罪で留置される。このとき太宰は、水に濡れた所がなかったようだ。だが太宰の有力関係者のお陰で、無事、不起訴となる。
[葉」[狂言の神][東京八景][人間失格]などの小説で、書かれている。
太宰は、狂言自殺をしたのではないかと疑われたわけだ。第一の疑問である。
▲青森の、芸妓小山初代と直後結婚するが、前の事件で、武蔵野病院に入院中、初代は、太宰の姻戚、小館善四郎と不倫の関係を結ぶ、そして、善四郎は太宰に、初代と結婚したいと告白した。
流石の太宰も、怒って、離縁してしまう。この内容は太宰19才の時に本名の、津島修治の名前で[この夫婦」で予言されていた。
彼の人生は予感と、宿命との中に初めから決まっていたかのようだ。初代とも、
カルモチン自殺を試みたが、100錠では致死量ではないことを知っている太宰と、二人は、助かった。
この顛末は、その後[姥捨て]で発表された、まるで小説の題材の為に、狂言自殺をしたかのような印象を受ける。第二の疑問である。
▲29才の時に、東京女子高等師範出の石原美知子(26才]と師匠の、井伏鱒二の媒酌で、正式に結婚する。[富嶽百景]、[津軽」「走れメロス」等々暗さから、解き放たれたような、佳作を発表する。
長女園子が生まれる。幸福なひと時であった。
その直後、文学少女の[太田静子]から手紙が舞い込んだ。運命の出会いである。
静子の母はチェーホフの戯曲[桜の園」の女主人公ラネーフスカヤのような人で困っているといわれ、太宰は、日本の[桜の園]を書こうと決心し、静子に日記を書くように迫る。後の最大文学、[斜陽」の
原稿と為る。太宰は、日記を借りるというより、すっかり、惚れてしまった。.静子が、〈子供が欲しい〉と言い出し、神奈川の下曽我で情愛を重ね、遂に、不倫の子を身ごもることになった。
▲[斜陽]の執筆で多忙な太宰、静子との不倫が、知れる事えの不安、ダウン症の長男の不憫、次女の出産で疲れた、険しい美知子の表情・・・・。
そこへ現れたのが、山崎富栄である。どんな冗談でも真剣に受け止める。〈至高無二の人から、女として最高の喜びを与えられた私は幸せです]と日記に書いた。昭和22年11月12日に下曽我で太田静子が女児を出産した。太宰は、富栄の部屋で、修治の一字を取って[太田治子]と命名して[この子は私の可愛い子で父をいつでも誇って健やかに育つことを念じている]と認めた.。「さっちゃん、どうだろう]太宰が訊いた客が帰ると富栄一晩中泣き通した。.太宰は、思いつく限りの言葉で慰めた。
「おまえにはまだ修の字が残っているじゃないか」
なんと太宰は、女心を知らない男だろうか。この部分を読むと、涙が禁じえない。
▲山崎富栄は本当に、太宰の子供を欲しかったのだと思う。これだけ献身したのに、 静子に[治子]
を与えたことに、女の、嫉妬もあったと思う。また津島家の周りを歩き、家庭の幸せを垣間見たときも、
同じ感情を抱いたとしても不思議ではない。[太宰は、私を本当に、愛しているのだろうか。]口先だけは、(さっちゃん、一番愛しているよ、一緒に死のう]と口走る。
本当に死のうと思っている富栄と生きようとしていた、太宰の間には、男と女の、深く暗い川底のようなものがあったように思えてならない。
太宰が6日後に玉川の下流で発見された時に、放蕩仲間の、〈山岸外史〉が太宰の顔を見て〈実にさわやかな顔をしていた)と回想している。つまり水を飲んでいない証拠だというのだ。
富栄が太宰の過去の、心中事件を知っているから、生き残りは絶対させないと思い、ウイスキーに
あらかじめ青酸カリを入れ入水する前に、太宰は、死んでいたという推理だ。
文壇が、[斜陽]で一気に一流作家として認めたときだけに、富栄にとり思わぬ、濡れ衣を着せられたようなものだ。その意味でも富栄程可哀想な女はいないと私は思っている。二人とも死んだので、真相は永遠に、謎ではある。
▲太宰文学は、死と生との狭間を迷い、平易な文体で自己の内閉された恥部をさらけ出し、読者〈作者でもある〉に日常の語り言葉で語りかけるところが若者の、心情に受けたのではないだろうか。
臆病な所があるかと思えば、図太い強さもあり、生真面目さと無責任さ、正直さと虚言、これ全て、人間のもつ二面性である。世間、社会、神を畏れこの世では、到底生きてゆけなくなって、事実、〈生まれてすみません〉の名言を残し、死を選んだところが、現代の、苦悩の闇世界に共通し、弱者の味方
と捕らえられているのではないでしょうか。
現代の、若者の魂と、交流する魔性があると思う。
太宰文学は、青春の、永遠の希望なのだ。
追記
退院後、この記事を書いたのだが、パソコンの不調で3日間友人のブログにも行けず愈々閉鎖かと悩んでいた所、ヘルパーに来てもらい動き始めた。この記事も残っていたので、その日のままUPしました。桜桃(サクランボ]も朽ちた時期だが、敢えて載せました。しかし二部が消えてしまい、トンダハプニングと為る。付かれきった。女とパソコンは優しくしないと、怒り出すものらしい。
太宰の遺書
[池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨降りしきる]伊藤左千夫作 伊馬春部宛て
「おまえを、一番愛していました」妻美知子宛て
桜桃忌、何故今なお人気か?
、三鷹の禅林寺境内の、太宰治の墓〈友人の、亀井勝一郎の追悼文が書かれている


太宰治の墓、 斜め後ろに、森鴎外の墓がある。

ちょうど太宰の命日に、胃腸のカメラで検査入院していたら、新聞に、一切桜桃忌の記事がなくおかしいなと思っていた。秋葉原殺傷事件記事で一杯だからか、太宰の暗い文学は、この時期に、不適だからかと勝手に思いこんでいた、帰宅して他紙を見たら、写真入で報道されていた。私事ながら、私の検査は悪性ではなくほっとした。
太宰が、富栄と入水自殺してから速くも、60年が経た。来年が、生誕100年になる。
放蕩時代の友人今官一が[桜桃]から懐けたのが桜桃忌の起源だ。
その一節に下記の文がある。
「お父さんはお鼻にいちばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる。」
「それじゃ、お前はどこだ。内股かね?」
「お上品なお父さんですこと。」
「いや、何もお前、医学的な話じゃないか。上品も下品もない。」
「私はね、」
と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、・・・・涙の谷、・・・・」
涙の谷。
父は黙して、食事をつづけた。
〈父は太宰、母は妻の、美知子さん)
このように太宰は、暗いイメージとは反対に、実に、ユーモアがあり、人を笑わせることが得意な面があった。所謂[奉仕の精神]、と言う奴だ。道化がうまい人でも在った。
次回に続く


太宰治の墓、 斜め後ろに、森鴎外の墓がある。

ちょうど太宰の命日に、胃腸のカメラで検査入院していたら、新聞に、一切桜桃忌の記事がなくおかしいなと思っていた。秋葉原殺傷事件記事で一杯だからか、太宰の暗い文学は、この時期に、不適だからかと勝手に思いこんでいた、帰宅して他紙を見たら、写真入で報道されていた。私事ながら、私の検査は悪性ではなくほっとした。
太宰が、富栄と入水自殺してから速くも、60年が経た。来年が、生誕100年になる。
放蕩時代の友人今官一が[桜桃]から懐けたのが桜桃忌の起源だ。
その一節に下記の文がある。
「お父さんはお鼻にいちばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる。」
「それじゃ、お前はどこだ。内股かね?」
「お上品なお父さんですこと。」
「いや、何もお前、医学的な話じゃないか。上品も下品もない。」
「私はね、」
と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、・・・・涙の谷、・・・・」
涙の谷。
父は黙して、食事をつづけた。
〈父は太宰、母は妻の、美知子さん)
このように太宰は、暗いイメージとは反対に、実に、ユーモアがあり、人を笑わせることが得意な面があった。所謂[奉仕の精神]、と言う奴だ。道化がうまい人でも在った。
次回に続く
勝利は「女神」に愛されねば為らず
モグラが土の中で薄暗い裸電球で本を読んでいたら、姪の子が遮二無二地上に持ち上げてくれた。
矢張り地上は何でも見える。明るい光に照らされ、一筆書く気になった。
■私の好きな棋士に米長邦雄(日本将棋連盟会長、都教育委員)と言う男がいます。15年前史上初めて、最年長50才で名人位を獲得した。相手は塩釜の天才中原誠名人(マスコミで林葉直子と不倫で騒動をおこす)6度挑戦して敗れ7度目にして遂に勝利したのだ。50年間{女神}−(西欧神話の女の神)を研究した変わった棋士だ。{勝利の女神}は謙虚で笑いを好むことに気がついたそうだ。そこで若い棋士(今を時めく羽生、佐藤、森内名人)に頭を下げて、習いに行ったのだ(謙虚)
勝って驕らず、負けて悪びれず、「ともに勝つ」(笑いの精神)が神の意思であると言う{女神信仰}を奉じている人なのだ。
■米長さんは、只の棋士ではなく、中々の哲学者でもある。3人の兄はみな東大に行き活躍している。語録に(兄貴は、頭が悪いから東大に入ったので、俺は、頭が良いから棋士になったのだ)という
有名な話がある。特に中国史に詳しく、唐の時代の「鑑真和上}(唐招提寺に座している)が日本に渡航を5度失敗し、弟子を36人失いながら、6度目に成功し、失明をしたことに感銘して一番尊敬していると言う粋な学者でもある人だ。
■人生相談にも応じている位で{家庭の空気が円い、夫婦仲が良いことが非常に大事で、これが勝負や子供の将来を決める事になる}と言うのが持論だ。勝利の女神は幸運の女神でもある。
このように、女神に好かれなければ、運も勝利も来ないらしい。
■、過去の辛酸、孤独、悲哀は反省すれども、とらわれず、不屈の精神を持っていれば、かならず
{女神}と仲良くなれると思った。政治、外交、教育もこの{ともに勝つ}の姿勢があれば解決策も処方されると思う。勿論俗世界の、{女性}に好かれなければ、人生の勝利は来ないことを銘記しなければ為らない。
[憎しみは憎しみによってとめられず愛のみによりとめられる]仏陀
矢張り地上は何でも見える。明るい光に照らされ、一筆書く気になった。
■私の好きな棋士に米長邦雄(日本将棋連盟会長、都教育委員)と言う男がいます。15年前史上初めて、最年長50才で名人位を獲得した。相手は塩釜の天才中原誠名人(マスコミで林葉直子と不倫で騒動をおこす)6度挑戦して敗れ7度目にして遂に勝利したのだ。50年間{女神}−(西欧神話の女の神)を研究した変わった棋士だ。{勝利の女神}は謙虚で笑いを好むことに気がついたそうだ。そこで若い棋士(今を時めく羽生、佐藤、森内名人)に頭を下げて、習いに行ったのだ(謙虚)
勝って驕らず、負けて悪びれず、「ともに勝つ」(笑いの精神)が神の意思であると言う{女神信仰}を奉じている人なのだ。
■米長さんは、只の棋士ではなく、中々の哲学者でもある。3人の兄はみな東大に行き活躍している。語録に(兄貴は、頭が悪いから東大に入ったので、俺は、頭が良いから棋士になったのだ)という
有名な話がある。特に中国史に詳しく、唐の時代の「鑑真和上}(唐招提寺に座している)が日本に渡航を5度失敗し、弟子を36人失いながら、6度目に成功し、失明をしたことに感銘して一番尊敬していると言う粋な学者でもある人だ。
■人生相談にも応じている位で{家庭の空気が円い、夫婦仲が良いことが非常に大事で、これが勝負や子供の将来を決める事になる}と言うのが持論だ。勝利の女神は幸運の女神でもある。
このように、女神に好かれなければ、運も勝利も来ないらしい。
■、過去の辛酸、孤独、悲哀は反省すれども、とらわれず、不屈の精神を持っていれば、かならず
{女神}と仲良くなれると思った。政治、外交、教育もこの{ともに勝つ}の姿勢があれば解決策も処方されると思う。勿論俗世界の、{女性}に好かれなければ、人生の勝利は来ないことを銘記しなければ為らない。
[憎しみは憎しみによってとめられず愛のみによりとめられる]仏陀
喜怒哀楽と雑念妄想
暫くご無沙汰いたしました。(悟った)?心算が大誤算。昨年の手術の痛みと愚恥に犯され〔欝〕状態の回廊に迷い込んでしまった。
遂に〔うめき声〕を発し、雲隠れしていました。
■幸い、4姉の援助で札幌近郊では、最大の温泉郷の定山渓(札幌市街中心部から国道230号を中山峠方面へ車で約40分の所に位置する定山渓温泉街。
定山渓温泉は、温泉開発に生涯を捧げた美泉定山(1805〜1877)の名前にちなんで命名された。
その美泉定山禅師が生誕して今年200年を迎へる。}に湯治に行っていました。姉とは慈悲の人なり。!!しかしまだ北海道の温泉は残雪があり、秋の紅葉ほど風情を感じない。寧ろ苦悩が増幅したかの感じを受けた。
■白楽天の詩に〔慈雨夜諦〕と言うのがある。{情け深い鳥が夜、母を慕って鳴く〕という.慈鳥と言って母の口に恩返しをする鳥とされているそうだ。俗にいう〔さと鳥〕=カラスである良寛上人が、夜烏の鳴くを聞いて悟りを開いたと言う話がある。鳥でさえ孝心があるのになんと、俺様はなんと情けない人間なのだろうか。
■先の記事で、「三心]「三毒」などという言葉を書いた自分に嫌気をさした。帰りの車窓から清流のせせらぎを聞き鳥の囀りに耳を澄ましても、詩情が沸くはずが無い。恩知らずの自分を恥じ、「三楽」を読みなおした。[家族の無事][心の平安]「後進の教育」
この三つが本当の人生の楽しみであると書いてあった。
■人の恩を忘れた、拙者は、更に手痛い罪と罰を受けた。帰宅して冷蔵庫からビールを出して呑もうとしたら、温水になっていた。つまり冷蔵庫が壊れてしまったのでした。諦めて寝るしか道は無かった次第です。改めて、感謝の大切さを再考させられました。こんな男ですが、亦今後お付き合いお願い申し上げます。
遂に〔うめき声〕を発し、雲隠れしていました。
■幸い、4姉の援助で札幌近郊では、最大の温泉郷の定山渓(札幌市街中心部から国道230号を中山峠方面へ車で約40分の所に位置する定山渓温泉街。
定山渓温泉は、温泉開発に生涯を捧げた美泉定山(1805〜1877)の名前にちなんで命名された。
その美泉定山禅師が生誕して今年200年を迎へる。}に湯治に行っていました。姉とは慈悲の人なり。!!しかしまだ北海道の温泉は残雪があり、秋の紅葉ほど風情を感じない。寧ろ苦悩が増幅したかの感じを受けた。
■白楽天の詩に〔慈雨夜諦〕と言うのがある。{情け深い鳥が夜、母を慕って鳴く〕という.慈鳥と言って母の口に恩返しをする鳥とされているそうだ。俗にいう〔さと鳥〕=カラスである良寛上人が、夜烏の鳴くを聞いて悟りを開いたと言う話がある。鳥でさえ孝心があるのになんと、俺様はなんと情けない人間なのだろうか。
■先の記事で、「三心]「三毒」などという言葉を書いた自分に嫌気をさした。帰りの車窓から清流のせせらぎを聞き鳥の囀りに耳を澄ましても、詩情が沸くはずが無い。恩知らずの自分を恥じ、「三楽」を読みなおした。[家族の無事][心の平安]「後進の教育」
この三つが本当の人生の楽しみであると書いてあった。
■人の恩を忘れた、拙者は、更に手痛い罪と罰を受けた。帰宅して冷蔵庫からビールを出して呑もうとしたら、温水になっていた。つまり冷蔵庫が壊れてしまったのでした。諦めて寝るしか道は無かった次第です。改めて、感謝の大切さを再考させられました。こんな男ですが、亦今後お付き合いお願い申し上げます。
弱者よ小さな意地をもて
小学生の頃国語の先生がよく偉人伝を聞かせてくれた。「手まり上人」の「良寛」と
「頓知話」の「一休」さんの話が今でも記憶に残っている。
両上人とも[純真な心と一生懸命]を教えていると言うのだ。この教えを忘れないようにと。
■朝ごみを投げに行くとき、近所の子供に「おじさんお早う」「勉強してうんと遊んで来いよ」
「はいっ」と。朝から清々しい気持ちになる。子供はみな純真なものだ。
■先ごろ18才の少年が駅構内で無差別殺傷と言う痛ましい事件があった、[誰でも良いから殺して刑務所にゆきたかった」と述べている。
父親の話によると貧乏で大学にゆけず社会に反感を持ったのだろうかと。
確かに世の中、偽善と悪徳が蔓延り腹立たしい事はある。
かといって全て社会のせいにするのは、短絡な現実逃避で、殺人まで犯すとは論外な卑怯な行為である。
今置かれた自分の境遇を素直に認識する事が大事だと思う。
大学に執着する自体狭い心だ。学問はどの世界でも出きる。中学しか行かなくとも立派に成功している人もいるのだ。
世の中勉強の種は何処にでも転がっていることを知るべきだ。大学でなくとも一生かけて、勉強はできるのだ。
■又小学六年生が、卒業式で先生の言う事を聞かずに、説教され自宅のマンション空飛び降り自殺した事件があった。説教が余程悔しかったのだろうか、何故「純真な心で意見」を訴えなかったのか残念だ。死を持って抗議する前に命がけで、自分の意見を突きつければ、あるいは、両親、先生も負けたかも知れぬのだ。弱い者こそ逃げずに小さな「意地」を持って壁に立ち向かう「命がけ」なひたむきさを持って欲しい。現実逃避をしているうちは弱いものは負けるしかないことを知って欲しい.
沢山の弱い人のためにも。
■野球開幕戦で巨人にエースと4番打者を奪われたヤクルトが6-2で見事巨人のスター最強軍団に勝利した。投手の「石川雅規」は[巨人をやっつけたい。何としても勝ちたかった」とコメントした。
これこそ「意地」である。命がけの勝利である。
拍手!喝采!
「頓知話」の「一休」さんの話が今でも記憶に残っている。
両上人とも[純真な心と一生懸命]を教えていると言うのだ。この教えを忘れないようにと。
■朝ごみを投げに行くとき、近所の子供に「おじさんお早う」「勉強してうんと遊んで来いよ」
「はいっ」と。朝から清々しい気持ちになる。子供はみな純真なものだ。
■先ごろ18才の少年が駅構内で無差別殺傷と言う痛ましい事件があった、[誰でも良いから殺して刑務所にゆきたかった」と述べている。
父親の話によると貧乏で大学にゆけず社会に反感を持ったのだろうかと。
確かに世の中、偽善と悪徳が蔓延り腹立たしい事はある。
かといって全て社会のせいにするのは、短絡な現実逃避で、殺人まで犯すとは論外な卑怯な行為である。
今置かれた自分の境遇を素直に認識する事が大事だと思う。
大学に執着する自体狭い心だ。学問はどの世界でも出きる。中学しか行かなくとも立派に成功している人もいるのだ。
世の中勉強の種は何処にでも転がっていることを知るべきだ。大学でなくとも一生かけて、勉強はできるのだ。
■又小学六年生が、卒業式で先生の言う事を聞かずに、説教され自宅のマンション空飛び降り自殺した事件があった。説教が余程悔しかったのだろうか、何故「純真な心で意見」を訴えなかったのか残念だ。死を持って抗議する前に命がけで、自分の意見を突きつければ、あるいは、両親、先生も負けたかも知れぬのだ。弱い者こそ逃げずに小さな「意地」を持って壁に立ち向かう「命がけ」なひたむきさを持って欲しい。現実逃避をしているうちは弱いものは負けるしかないことを知って欲しい.
沢山の弱い人のためにも。
■野球開幕戦で巨人にエースと4番打者を奪われたヤクルトが6-2で見事巨人のスター最強軍団に勝利した。投手の「石川雅規」は[巨人をやっつけたい。何としても勝ちたかった」とコメントした。
これこそ「意地」である。命がけの勝利である。
拍手!喝采!






