太宰治は東大の学生時代に、銀座の女給田部あつみ(シメコ)と知り合い、鎌倉の七里ガ浜でカルモチン100錠を呑み入水自殺を図る。しかし太宰は、助かり、自殺ほう助罪で留置される。このとき太宰は、水に濡れた所がなかったようだ。だが太宰の有力関係者のお陰で、無事、不起訴となる。
[葉」[狂言の神][東京八景][人間失格]などの小説で、書かれている。
太宰は、狂言自殺をしたのではないかと疑われたわけだ。第一の疑問である。
▲青森の、芸妓小山初代と直後結婚するが、前の事件で、武蔵野病院に入院中、初代は、太宰の姻戚、小館善四郎と不倫の関係を結ぶ、そして、善四郎は太宰に、初代と結婚したいと告白した。
流石の太宰も、怒って、離縁してしまう。この内容は太宰19才の時に本名の、津島修治の名前で[この夫婦」で予言されていた。
彼の人生は予感と、宿命との中に初めから決まっていたかのようだ。初代とも、
カルモチン自殺を試みたが、100錠では致死量ではないことを知っている太宰と、二人は、助かった。
この顛末は、その後[姥捨て]で発表された、まるで小説の題材の為に、狂言自殺をしたかのような印象を受ける。第二の疑問である。
▲29才の時に、東京女子高等師範出の石原美知子(26才]と師匠の、井伏鱒二の媒酌で、正式に結婚する。[富嶽百景]、[津軽」「走れメロス」等々暗さから、解き放たれたような、佳作を発表する。
長女園子が生まれる。幸福なひと時であった。
その直後、文学少女の[太田静子]から手紙が舞い込んだ。運命の出会いである。
静子の母はチェーホフの戯曲[桜の園」の女主人公ラネーフスカヤのような人で困っているといわれ、太宰は、日本の[桜の園]を書こうと決心し、静子に日記を書くように迫る。後の最大文学、[斜陽」の
原稿と為る。太宰は、日記を借りるというより、すっかり、惚れてしまった。.静子が、〈子供が欲しい〉と言い出し、神奈川の下曽我で情愛を重ね、遂に、不倫の子を身ごもることになった。
▲[斜陽]の執筆で多忙な太宰、静子との不倫が、知れる事えの不安、ダウン症の長男の不憫、次女の出産で疲れた、険しい美知子の表情・・・・。
そこへ現れたのが、山崎富栄である。どんな冗談でも真剣に受け止める。〈至高無二の人から、女として最高の喜びを与えられた私は幸せです]と日記に書いた。昭和22年11月12日に下曽我で太田静子が女児を出産した。太宰は、富栄の部屋で、修治の一字を取って[太田治子]と命名して[この子は私の可愛い子で父をいつでも誇って健やかに育つことを念じている]と認めた.。「さっちゃん、どうだろう]太宰が訊いた客が帰ると富栄一晩中泣き通した。.太宰は、思いつく限りの言葉で慰めた。
「おまえにはまだ修の字が残っているじゃないか」
なんと太宰は、女心を知らない男だろうか。この部分を読むと、涙が禁じえない。
▲山崎富栄は本当に、太宰の子供を欲しかったのだと思う。これだけ献身したのに、 静子に[治子]
を与えたことに、女の、嫉妬もあったと思う。また津島家の周りを歩き、家庭の幸せを垣間見たときも、
同じ感情を抱いたとしても不思議ではない。[太宰は、私を本当に、愛しているのだろうか。]口先だけは、(さっちゃん、一番愛しているよ、一緒に死のう]と口走る。
本当に死のうと思っている富栄と生きようとしていた、太宰の間には、男と女の、深く暗い川底のようなものがあったように思えてならない。
太宰が6日後に玉川の下流で発見された時に、放蕩仲間の、〈山岸外史〉が太宰の顔を見て〈実にさわやかな顔をしていた)と回想している。つまり水を飲んでいない証拠だというのだ。
富栄が太宰の過去の、心中事件を知っているから、生き残りは絶対させないと思い、ウイスキーに
あらかじめ青酸カリを入れ入水する前に、太宰は、死んでいたという推理だ。
文壇が、[斜陽]で一気に一流作家として認めたときだけに、富栄にとり思わぬ、濡れ衣を着せられたようなものだ。その意味でも富栄程可哀想な女はいないと私は思っている。二人とも死んだので、真相は永遠に、謎ではある。
▲太宰文学は、死と生との狭間を迷い、平易な文体で自己の内閉された恥部をさらけ出し、読者〈作者でもある〉に日常の語り言葉で語りかけるところが若者の、心情に受けたのではないだろうか。
臆病な所があるかと思えば、図太い強さもあり、生真面目さと無責任さ、正直さと虚言、これ全て、人間のもつ二面性である。世間、社会、神を畏れこの世では、到底生きてゆけなくなって、事実、〈生まれてすみません〉の名言を残し、死を選んだところが、現代の、苦悩の闇世界に共通し、弱者の味方
と捕らえられているのではないでしょうか。
現代の、若者の魂と、交流する魔性があると思う。
太宰文学は、青春の、永遠の希望なのだ。
追記
退院後、この記事を書いたのだが、パソコンの不調で3日間友人のブログにも行けず愈々閉鎖かと悩んでいた所、ヘルパーに来てもらい動き始めた。この記事も残っていたので、その日のままUPしました。桜桃(サクランボ]も朽ちた時期だが、敢えて載せました。しかし二部が消えてしまい、トンダハプニングと為る。付かれきった。女とパソコンは優しくしないと、怒り出すものらしい。
太宰の遺書
[池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨降りしきる]伊藤左千夫作 伊馬春部宛て
「おまえを、一番愛していました」妻美知子宛て