2013.01.24(木)
今日から、NHKで「塚原ト伝」が始まりますが、どんな侍だったのか?(戸部新十郎「日本剣豪譚」)によると延徳2年(1490)、鹿島神社の神官、吉川家の次男として生まれた。生家も養子先
の塚原家も剣法を伝える由緒ある家柄であったため、幼少より実父、養父に鍛えられ、将来を嘱望されながら17歳で全国修行の旅に出る。諸国の名だたる剣豪と200回以上も剣を交え、真剣・木刀を問わず、決して負けを喫する事のなかったという剣聖だったということです。
塚原ト伝は、40歳を過ぎて妻帯したものの妻に先立たれ、子供が居なかったので養子を迎えた。
家督を継がせる息子を選ぼうと3人の青年を試した。譲るべき人物かどうか見極める為、部屋の鴨居に来枕を置き、暖簾越しに見えないようにしておいて、暖簾を跳ねると頭上に落ちてくる仕掛けをした。
最初の人は油断無く辺りを見回して、仕掛けを見抜いて来枕を取り除いて部屋に入ってきた。
二人目はそのまま入ってきたが、来枕が落ちてくると身体を交わし、刀に手を掛けたまま入ってきた。
最後のものは、やはり暖簾を跳ねた途端に来枕が落ちてきたが、目にも留まらぬ早業で腰の刀を抜き放、落下してくる来枕を真っ二つにして入ってきた。
見事な剣さばきを見せた最後のものが選ばれると思ったが、「枕ごときに驚いて剣を抜くとは呆れた奴だ」と一蹴し、最初の一番用心深かったものを養子として家督を譲ったのです。このように、
塚原ト伝は「負けない」事を心がける、何より「用心深い」事を要諦としていた、無手勝流秘術の持ち主だったようである。
さてドラマはどのような人物として描かれるか興味津々である。
の塚原家も剣法を伝える由緒ある家柄であったため、幼少より実父、養父に鍛えられ、将来を嘱望されながら17歳で全国修行の旅に出る。諸国の名だたる剣豪と200回以上も剣を交え、真剣・木刀を問わず、決して負けを喫する事のなかったという剣聖だったということです。
塚原ト伝は、40歳を過ぎて妻帯したものの妻に先立たれ、子供が居なかったので養子を迎えた。
家督を継がせる息子を選ぼうと3人の青年を試した。譲るべき人物かどうか見極める為、部屋の鴨居に来枕を置き、暖簾越しに見えないようにしておいて、暖簾を跳ねると頭上に落ちてくる仕掛けをした。
最初の人は油断無く辺りを見回して、仕掛けを見抜いて来枕を取り除いて部屋に入ってきた。
二人目はそのまま入ってきたが、来枕が落ちてくると身体を交わし、刀に手を掛けたまま入ってきた。
最後のものは、やはり暖簾を跳ねた途端に来枕が落ちてきたが、目にも留まらぬ早業で腰の刀を抜き放、落下してくる来枕を真っ二つにして入ってきた。
見事な剣さばきを見せた最後のものが選ばれると思ったが、「枕ごときに驚いて剣を抜くとは呆れた奴だ」と一蹴し、最初の一番用心深かったものを養子として家督を譲ったのです。このように、
塚原ト伝は「負けない」事を心がける、何より「用心深い」事を要諦としていた、無手勝流秘術の持ち主だったようである。
さてドラマはどのような人物として描かれるか興味津々である。
スポンサーサイト