羽生名人、棋聖戦を制し、、再び四冠王に!


三強の一人佐藤康光棋聖に最初連敗したが、参連勝して、見事、棋聖位を奪取した。
完全に復調の気配である。やはり第一人者の貫禄を感じた。これで羽生は2年4カ月ぶりに4冠に復帰し、再度の全7冠制覇が視界に入ってきた。また、羽生のタイトル獲得は通算70期となった。
(故大山康晴十五世名人の記録(通算80期)にあと10期と迫った)。
七冠全制覇した30才位から,<勝つ事ばかりでは、つまらなくなり、将棋の奥義〉を追及した頃から、次々に、タイトルを失い人生の、曲がり角に来た。(元々勝負に淡白ではある)
「将棋は勝負]という感嘆明瞭な事にきずき、再度、最善手を打つ事に、専念した結果、亦以前の、強い羽生が帰ってきた、タイトル獲得は当然の結果である。
挫折と栄光を知った羽生名人は、今後、鬼に金棒である。
勝ちに執着というよりも、盤面に集中して最も良い手を探求するのだ。
「勝利の女神」は優しく抱き続ける事であろう。!!
遂に、羽生二冠19世名人の資格獲得!!
「勝利直後の記者会見の様子」
羽生、名人になった瞬間の[輝ける表情」
厳しい顔は、苦戦を物語っている。オメデトウ!!


23歳で初めて名人位に就いてから14年、将棋界のスーパースターがついに十九世名人の称号を手に入れた。森内俊之名人(37)と羽生善治王将(37)の「宿命の対決」となった第66期名人戦七番勝負(毎日新聞社、朝日新聞社主催、大和証券グループ協賛)。今回は、羽生が永世名人争いで先を越された森内を4勝2敗で破った。羽生は「鬼門」をクリアして「永世7冠」に接近。〈毎日JPより)森内の5連覇を阻止念願の永世称号を獲得!フアンの私は、自分のことのように欣喜雀躍した。さぞ辛かっただろうと思うと、嬉し涙を禁じえません。
羽生新名人は70年、埼玉県所沢市生まれ。89年に19歳で初タイトルの竜王を獲得して以降、94年に名人位を得るなど七タイトルに計69期就いてきた。すでに棋聖、王位、王座、棋王、王将の永世称号を持ち、将棋界初の永世七冠まで残るは永世竜王だけだ
(羽生名人の話)
「名人戦は簡単じゃないと感じる場面は多かった。棋士人生は長く、瞬間瞬間に次を目指すマラソンみたいなものなので、走り続ける姿勢が大事だと思います」
(先輩の谷川17世名人の話)
−−最近の羽生さんは内容重視というか、勝負にあまりこだわらない感じでした。でも、今期は永世名人という目標があるので、かなり勝ち負けを意識していたと思います。
羽生さんの強さは、柔軟性があって、その局面の急所をとらえる能力が高いところにあります。作戦の選択も相手の出方に自然に対応していますが、すべての戦型を熟知していないと、こうしたことはできません。なるべき人がなった、寧ろ遅かったくらいです。(毎日JPより)
羽生、名人になった瞬間の[輝ける表情」
厳しい顔は、苦戦を物語っている。オメデトウ!!


23歳で初めて名人位に就いてから14年、将棋界のスーパースターがついに十九世名人の称号を手に入れた。森内俊之名人(37)と羽生善治王将(37)の「宿命の対決」となった第66期名人戦七番勝負(毎日新聞社、朝日新聞社主催、大和証券グループ協賛)。今回は、羽生が永世名人争いで先を越された森内を4勝2敗で破った。羽生は「鬼門」をクリアして「永世7冠」に接近。〈毎日JPより)森内の5連覇を阻止念願の永世称号を獲得!フアンの私は、自分のことのように欣喜雀躍した。さぞ辛かっただろうと思うと、嬉し涙を禁じえません。
羽生新名人は70年、埼玉県所沢市生まれ。89年に19歳で初タイトルの竜王を獲得して以降、94年に名人位を得るなど七タイトルに計69期就いてきた。すでに棋聖、王位、王座、棋王、王将の永世称号を持ち、将棋界初の永世七冠まで残るは永世竜王だけだ
(羽生名人の話)
「名人戦は簡単じゃないと感じる場面は多かった。棋士人生は長く、瞬間瞬間に次を目指すマラソンみたいなものなので、走り続ける姿勢が大事だと思います」
(先輩の谷川17世名人の話)
−−最近の羽生さんは内容重視というか、勝負にあまりこだわらない感じでした。でも、今期は永世名人という目標があるので、かなり勝ち負けを意識していたと思います。
羽生さんの強さは、柔軟性があって、その局面の急所をとらえる能力が高いところにあります。作戦の選択も相手の出方に自然に対応していますが、すべての戦型を熟知していないと、こうしたことはできません。なるべき人がなった、寧ろ遅かったくらいです。(毎日JPより)
羽生二冠勝利して19世名人になれるか?!


羽生善治二冠(王座、王将)
名誉王座、-棋王、王将、王位、棋聖の永世位の五つを既に獲得している、稀に見る天才。
二上前会長門下、埼玉所沢出身、37才

羽生対森内の世紀の名人戦の控え室での検討風景。
羽生が勝てば、念願の19世名人になる。夕食休憩の後、羽生苦戦の盤面だが、「ハブ・マジック」
がでるかどうか。!負けても後1勝で名人位を獲得と余裕はあるが、出来れば一気に決めたい所だ。
(検討陣の顔ぶれは米長会長、田中九段、高野五段、)nifty提供
羽生二冠第四戦に勝ちあと一勝で永世名人に!

TVの夕食休憩のときの棋勢は羽生苦戦かと思ったが、今netで見たら羽生挑戦者の勝ちを伝えていた。さすが、ここ一番の羽生さんの強さは、大天才の名に恥ずかしくない。
7番勝負ですので、4勝する迄なんともいえないが,第五戦で一気に決めて欲しいものです。
羽生の今回の打ち方は、今までと違い、実に慎重そのものでした。集中力が違っていました。
真剣そのものにうつりました。永世名人の持つ意味は他の棋戦とは全く違い歴史の重さがあるのです。心から応援する次第です。!
名人戦解説者と弟子入りの相談風景か?

豊川六段は将棋の普及活動に熱心な棋士で人気があります。昼休みに、母親と息子さんがなにやら相談していました。弟子入りのことかと思いました。この子は、指導将棋で見ていましたら、相当の腕前でした。アマチュア3-5段くらいの力で奨励会に入る時は、6級くらいです。ひどい差です。それ程プロになるのは難しい事なのです。
羽生二冠奇跡の大逆転!

厚別区民センターの直ぐ近くの新札幌駅付近
解説者が亦素晴らしいのだ、[豊川六段]である。
NHKの講座を担当した時に、[○切れより痛い歩切れ]を連発した男なのだ。
関係者、視聴者ともハラハラしたものだ。
[豊川六段]も奨励会(プロになる前の修業時代)では[羽生]と同期である。
今は格段の差をつけられた。やはり(物が違う〉逸材と思ったそうだ。
この第三戦は、結局「森内名人」の勝ち将棋を50年に一回と言われるほどの「羽生挑戦者]が奇跡の大逆転勝利に導き永世名人に一歩近づいたわけです。!フアンの私は欣喜雀躍でした。
勝負は、優勢から勝勢、そして勝利えと進みます。この勝勢のときに、最善の手をさし一気に勝ちにしなければ隙が出来ます。今回森内名人は最善の手を打たず緩手を打ち、羽生にわずかな隙を与え、
勝利を逃し涙を呑んだ訳です。
[羽生]の将棋は切れ味鋭い[勇断流」でリスクを承知でせめていくタイプだ。森内さんは[鉄板流」といわれやや受け身のタイプで相反する棋風です。どちらが良いとは断言できません。
ただ、羽生さんの座右の銘が<運命は勇者に微笑む>で森内さんは<一期一会>で対照的だ。まるで[米長さんの勝利の女神」に通じると思った。これからが楽しみになって来た。時には、はんなりも良いが時には熱いのもまたよしである。
注(一歩千金とか歩のない将棋は負け将棋とか言われ一番格下の駒が一番大事だともいえます。
○切れより歩切れが痛いというのはこのことなのです。)
天才棋士、真部一男八段逝く
19才でプロになりA級2期在位、棋界の「プリンス」「美剣士」
と期待された真部八段が24日ガンで亡くなった.(55才)であった。
一時は女性評論家との浮名も流し、人気者であった。最近天才の
早い死が多い、村山聖九段、芹沢九段何れも棋界にとり惜しい棋士である。棋界以外でも沢山の惜しい人材が早世している中、不平不満ばかりの(我が身)が生かされているのが申し訳ない気持ちになる。
命のはかなさを感じる、わが同期生も10数人が他界し寂しい限りである。全ての物故者に哀悼し合掌するのみであります。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を受け滅せぬものあるべきか」織田信長
「露と落ち、露と消えぬる我が身かな、浪華のことは夢のまた夢」
豊臣秀吉
と期待された真部八段が24日ガンで亡くなった.(55才)であった。
一時は女性評論家との浮名も流し、人気者であった。最近天才の
早い死が多い、村山聖九段、芹沢九段何れも棋界にとり惜しい棋士である。棋界以外でも沢山の惜しい人材が早世している中、不平不満ばかりの(我が身)が生かされているのが申し訳ない気持ちになる。
命のはかなさを感じる、わが同期生も10数人が他界し寂しい限りである。全ての物故者に哀悼し合掌するのみであります。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を受け滅せぬものあるべきか」織田信長
「露と落ち、露と消えぬる我が身かな、浪華のことは夢のまた夢」
豊臣秀吉






